
前々から楽しみにしていた立川談春師匠の独演会へ行ってきました。
今回は事前に演目が決まっていて、まだ聴いたことのない「居残り佐平次」をかけてくださるというので、あらすじを軽く予習してから行きました。
▽居残り佐平次|Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%AE%8B%E3%82%8A%E4%BD%90%E5%B9%B3%E6%AC%A1
独演会というと大体前半に1〜2つ、後半に1つの演目をされることが多いのですが、今回は枕ついでに「替り目」という一席があり、次に「居残り佐平次」を前半/後半にわけるというかなり変わったスタイル。
居残り佐平次自体が長いお話なのですが、今回はいろんな説明を入れながらされていたので、その分さらに長くなっていました。
たとえば遊郭で「裏を返す」とか、騙りにあうことを「おこわにかける」とか、今では使われない言葉が多いので、それらを説明してくださると、会場からは「ああ〜」とか「へ〜」というような声もちらほら聞こえていました。
が、そういうのを入れていくからか、演目の性質なのか、、はたまた上手すぎるからなのか、笑うというよりは一人芝居を観ているような感じで、前半は「落語っぽくない気がする…」と思いながら聴いていました。
できるだけ初めての方にもわかりやすいようにということで工夫してくださっていたと思うのですが、落語のいわゆる様式美みたいなものがなくなったことで、余計に玄人好みっぽく感じられたような。。
落語として成立できるギリギリのところを歩いているような気がしました。
後半の枕ではなぜこういう形式の独演会にしたかというお気持ちも語っていただきました。
談春師匠が落語の世界に対して何か貢献したいと思ってらっしゃることや、談志師匠から薫陶を受けた立川流ならではの想いがあること、また寄席に呼ばれない立川流だからこそ、こうしたあれやこれやの工夫が必要だと感じていることなど…。
正直「重い」と思いました。
嫌な意味ではありません。
ここまで落語に対して真摯な姿勢を持ってらっしゃるんだ!という感銘もありましたし、立川流の師匠方の談志愛というか、落語馬鹿さというか、受け継がれてるものは相当あるなという、幹の太さを感じました。
ただ、落語の師匠方というのは、皆さんそういうことを思ってらっしゃっても高座ではそんなことを言われないと思うのです。それは野暮だから。
なので今回談春師匠がそういう事を口にされるということに対しては少し驚きましたし、そこまで口に出させてしまうということに対して、申し訳なさも感じました。
多分、落語界が順風満帆であればこんなことは口にされなくて良かっただろうし、普通の落語をやって十分賞賛を浴びられる方だと思うのです。
そこをあえてこういう挑戦的な取り組みをされるというのは、なにかしら危機感を持たれているからなんだろうなあ、と。
落語を聴いて疲れた〜と思ったのは初めてかもしれません。全く嫌な疲れではないのですが。
落語自体はもちろん笑いどころも多く、啖呵も小気味よく、長さを感じさせない上手さでしたが、個人的には談春師匠の落語への想いの重さをずっしり感じた会となりました。