
話題になっていたイザベル・フォールの短編SF。
ジェンダーが構成物になった時代の話。戦闘とジェンダーがこんなにも混合できるのかと、そのアイデアと感性に感じ入った。
元々「私の性自認は攻撃ヘリ」というネットミームをもとにしたカウンターパンチ的な作品ということなので、大体の方向性はそこから決まったのだろうけど、それにしても素敵な感性だと思う。
攻撃ヘリと自分が物理的にもつながっていて、途中まで性自認という認識だけの話なのか、物理的な話なのか少し惑わせるようなところも良かった。
しかしそれでいうと最終兵器彼女にもちょっと掠るところがあるかもと思ったり。ちせは身体は兵器なんだけど性自認は女性なんだよね。最初は。だから恋をしてる。でも身体に精神が引きずられるのも事実で。
こちらの作品でもそういったあたりの観察&考察もされていて興味深かった。
ただ、これで割と賛否両論だったというのもわかる。
ジェンダーを脱したいのは自分の性自認に疑問がある人だけではなくて、割と誰にでもある欲求だと思うので、そういう点では多くの人に共感されるものかなと思う(少なくとも私はそう)けど、一方で真面目に性自認に悩んで苦労している人にとってはそんなに気軽なもんじゃない、という反発もあるんだろうなあという気がする。
差別を軽やかに飛び越えた先の世界が皆の理想ではあるけども、そこへの行き方は人によって厳しい眼差しがあったりしてなかなか難しい。
私はマドンナの「自分はバッドなフェミニストである」というスピーチが好きだけど、あれも正統な(?)フェミニストからは避難されるということもあるのだし。
でもまあこれを深く語るには自分の不勉強が大きくて無理。
無責任に軽く考えてしまえば、ちょうどこの後に宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」を読んだので、これでいうとオタ活もある種、オタクという性自認での活動よな、と思うなどしました。
紙魚の手帖Vol.03
https://amzn.to/3kj5Xek