
お芝居好きな友人から、なんと鹿児島で藤原竜也さんの舞台がみられるということを聞き、いそいそと見に行ってきました。
韓国発祥の舞台
「鱈々(だらだら)」は韓国の李康白(イ・ガンペク)さんが書かれた4人芝居。
現代は「プゴテガリ」といって、日本語に訳すと「干し鱈の頭」という意味になるそう。
タイトルの通り、この「干し鱈の頭」が芝居のキーアイテムになっています。
「倉庫」という狭い空間で暮らす男二人の関係に、外から美しい女性とその父が入ってくることで、今まで続いていたその関係が変化していく、という流れ。
実力派4人の芝居
やはり芝居は登場人物が少なくなればなるほど役者の実力が問われるように思いますが、さすがに4人とも素晴らしかったです。
特に私はミスダーリンを演じた中村ゆりさんが良かったと思います。
奔放な若い女性ミスダーリンの役柄に合った声で、間のとり方で短絡的な部分とミステリアスな部分の両面が感じられました。
藤原竜也さんはテレビでも舞台でも活躍の方なので、もちろん上手だろうなと思っていたのですが、こちらも素晴らしかったです。
ただ、私が勝手に思っていた上手さとは、良い意味で違う上手さだなあと思いました。
藤原さんは元々舞台で見出された役者さんなので、勝手に舞台演技らしい演技なのだろうなと思っていたのです。ですが、今回の役柄はすごく自然で、本当にこの倉庫でただただ真面目に働く青年がそこに佇んでいるようでした。
舞台にしては弱く、存在感がないとも捉えられるのですが、今回はそういう役作りだったのかなあ、と。
藤原さんの舞台を見に行く!といったら、周りの方から「今回は何を叫ぶの?」と聞かれてしまいましたが(笑)、今回はあまり叫ばれませんでしたよw
自分の価値観が壊される時
この話では、長年倉庫で信念を持って働いてきた主人公が、孤独に突き落とされ、今まで自分のやってきたことは無意味だったのかと絶望します。
暗い倉庫のなかで一人の男が黙々と箱を積み上げる、そんなラストには後味の悪さが拭えません。
絶望の中でそれでも今まで通り働き始める主人公を、自分の世界のルーティンに逃げた弱い人物と見るか、それでも信念を曲げない強い人物と見るかは人それぞれでしょう。
ただ、話自体が面白かったかと言われると、、う〜んという感じです。
この話が書かれたのは90年代とのことなので、その頃であれば、今までの制度や価値観が大きくゆらぎ、あなたの価値観も壊されるかもしれない、という問題提起は新鮮だったのだと思いますが、、今やさんざんそんなことばかりで、今更そんなことを言われても、という感が否めません。
できればその問題提起から主人公が自分なりの回答をどのように見つけていくかをみたかったなあとも思いました。
でも回答が見えないからこそ、こういうお芝居は後を引いて面白いのかもしれませんね。
あと、この芝居に4人も必要かしら、という思いもちょっと。
例えば三谷幸喜さんの「笑の大学」のように、二人芝居でも面白かったのではないかと思いました。
閉ざされた空間の何が正しくて、何がずれているのか、それをひたすら想像させていくと、結構スリリングなお芝居になったのではないかなと。
しかし鹿児島でこういうお芝居を見られる機会はなかなかないので、とても良い機会になりました。
今年はもう一つ鹿児島でお芝居に行ける予定なので、そちらも楽しみです。