
知覧と言えば特攻基地があったことで有名な土地ですが、わりと私の地元の近くにあり、小さい頃から馴染みの深い街です。
今日はその知覧のお寺の本堂で映画「この世界の片隅に」の上映があるということで、久しぶりに行ってみました。
地域のお寺さんの温かいイベント
会場の大心寺さんに伺うと、寒い中ご住職やスタッフの方がチケットの販売などをされていました。

敷地内では地元の野菜や、近くのカフェの方がコーヒーや軽食を出していて、地域のイベントという感じでとても素敵な雰囲気。
本堂に入ると、ご信徒さんらしき近所のおじいちゃま・おばあちゃまやご家族が多く来られていて、和気藹々とした空気でした。
本堂の寒さを知って毛布やひざかけ持参で来られている手慣れた方も多く、流石!という感じ。(実際にはそんなに寒くありませんでしたが)
本堂もとても立派で、普段は自分の檀那寺の本堂しか入ることがないので、興味深く拝見させていただきました。
映画「この世界の片隅に」
肝心の映画の方ですが、かなりヒットしていたにもかかわらず見逃していて、実は今回が初めての鑑賞。
ストーリー自体は全体を通してあまり起伏がなく平坦なものなのですが、淡々とした中にも様々な喜怒哀楽があって、終わりまで集中して見ていました。
自分自身が大学時代をすごした広島が舞台ということもあり、人物たちの柔らかな広島弁や、広島市内の様子、灰ヶ峰や江波という地名が懐かしかったというのもあります。
灰ヶ峰って夜景を見に行くドライブスポットだったよな〜とか、江波線って市電があったような…とか、その程度ですが。
今と当時のギャップがわかるとより面白く観られると思います。
特に印象的だった点として、戦時中が舞台の映画なので劇中で様々な人が亡くなっていくのですが、そうした人の死があるときは深刻に、あるときは一言でそっけなく受け止められていくという、扱いの違いを興味深く感じました。
私の祖父母が生きてきた、ついほんのすこし前の時代では、爆撃や肉親が死ぬことも日常で、戦争当事者の一人として(戦場に行かないまでも日常的に支援をすることでの)「戦に参加する」ということが当たり前になっていたということが、憐れでもあり、人って強いなあとも思ったり。
今まさに、どこかの国ではこんな日常があるのかとも考えたり、またいずれこんな風になるかもしれないと考えたり。
明確な起伏のないストーリーだけに、観客に考えさせる余白が多い作品だと思いましたし、けして写実的ではないのに「こんな街や暮らしがそこにあったのだ」と感じさせる描き方は本当に素晴らしいと思いました。
おみやげのお芋と麦入りのおにぎり
上映会のお土産に、当時風に再現したおにぎりをいただきました。
白米+麦+お芋のおにぎり。塩が効いていて美味しかったです!
食べながら、そういえば祖母はこういった芋や雑穀の入ったご飯が嫌いだった事を思い出しました。
食べ物のない時代にこればっかり食べていたからと言っていましたが、お芋のご飯は飢餓の象徴というよりも、もしかしたら、戦争の暗さや自分が戦争に参加していたのだということを思い出させる食べ物だったのかもしれません。
これを美味しい、珍しいと思えることが平和ということなのかもしれませんね。
様々な余韻に浸れる、素敵なイベントでした。