映画「億男」 雑感

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去年映画化された川村元気さんの「億男」。
「ストーリーに落語の芝浜が絡んでるから見てみてよ」と勧められ、本は読んでいないのですが、とりあえず映画を見てみました。

見る前は宝くじで億万長者になった人のよくある悲喜劇かなと思っていたのですが、芝浜のようなお金を鍵にした人情噺で面白かったです。
※以下多分ネタバレあり

兄が3,000万円の借金を残して失踪して以来、図書館司書の一男(佐藤健)は、夜もパン工場で働きながら借金を返済している。妻・万左子(黒木華)は度重なる借金の返済に苦心し窮屈に生きることしか選んでいない一男に愛想を尽かし、離婚届を残して娘・まどかと一緒に家を出てしまうのだった。そんな踏んだり蹴ったりの一男だったが、突然宝くじが当たる。当選金額3億円! これで借金を返せるだけでなく、家族の絆を修復することができるはず。だがネットを見ると、宝くじの高額当選者たちはみな悲惨な人生を送っているという記事ばかり…。怖くなった一男は、大学時代の親友であり、起業して億万長者となった九十九(高橋一生)にアドバイスを求めることにする。久しぶりの再会と九十九プロデュースの豪遊に浮かれて酔いつぶれた一男が翌朝目を覚ますと、3億円と共に九十九は姿を消していた――。
3億円と親友のゆくえを求めて、一男のお金と幸せをめぐる冒険が始まった。九十九の家のパーティで出会った“あきら”(池田エライザ)と名乗る女性を頼りに、かつて九十九と起業した仲間=“億男”と呼ばれる億万長者たちに九十九の手掛かりを探る。ギャンブル好きの実業家:百瀬(北村一輝)、マネーセミナーの教祖:千住(藤原竜也)、10億円を隠し持つ主婦:十和子(沢尻エリカ)…。クセ者ぞろいの億男たちを渡り歩く“地獄めぐり”に翻弄される一男。お金、友情、そして家族。すべてを失った男が最後にたどり着くのは?お金とは何か?幸せはどこかー
(作品紹介より抜粋)

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高橋一生の落語

あらすじだけではわかりませんが、主人公の一男(佐藤健)と親友の九十九(高橋一生)は大学の落語研究会で出会い、落研の二枚看板だったという設定。
劇中では佐藤健さんの「死神」と高橋一生さんの「芝浜」が観られます。

特に「芝浜」は九十九の好きな落語なのか、二人で行ったモロッコ旅行にも芝浜のテープを持ってきて二人で聞いてみたり、果ては砂漠でも一席披露したりと、かなりストーリーに絡んできます。
落語の指導は志らく師匠がされたそうで、高橋一生さんの落語の演技もお上手でした。入は難しいのでまだ声が微妙でしたが、おかみさんはお上手。
そういったところも大学生の落語という感じがしてよかったです。

佐藤健の無視される「顔」

これは個人差があると思うのですが、私は佐藤健さんってお顔がとてもきれいだと思うのです。それって役者にとっては良し悪しだよなあと、この映画を見ていて思いました。

佐藤さん演じる一男は借金苦で生活に疲れている男性なのですが、そんな中でも顔がきれい。そして冴えない大学時代も顔がきれい。
失礼な話ですが、こんなきれいな顔で職場とか大学で人気でないの??ホストで稼ごうとか誘われないの??と、一気に違和感を感じてしまいます。
この映画の登場人物の人はこの佐藤健さんの顔をどう感じているんだろうと、それが気になってなかなか本編に集中できないというか、現実を描く映画の中で佐藤健さんの顔だけが無視されているという不思議な感じになってしまってました。

佐藤健さん自体は素敵な役者さんなのでカリスマ的な役をやるとすごくハマると思うんですが、こういう地味な役をやる時って逆に大変なのかもしれませんね。

そんな要素もあってか、この作品ではいまいち一男の存在の定義が曖昧で、主人公なのに全然感情移入はできないという不思議な立ち位置になっていました。それもまあ3億円当たるという浮世離れした雰囲気作りには良かったです。

芝浜と死神

ちなみに作中に出てくる落語とストーリーの絡みですが、確かにうまく生きていて、芝浜と死神を聞いたことがあると更にわかりやすいだろうなと思いました。
芝浜はまさにこのストーリーの表裏ですね。

放蕩をして生活が苦しくなった魚売りが、大晦日に芝の浜で大金を拾う。喜んで豪遊した翌朝、それが夢だとおかみさんに聞かされ、ショックで心を入れ替えて真面目に働くようになる。更生して3年目の大晦日に、おかみさんから金を拾ったのは事実で、あなたの為に隠しておいたのだと真実を明かされる。

一男が九十九に3億円を持ち逃げされてもどこかで信じられていたのは、この芝浜の思い出があるからなんでしょう。私だったら即発狂しています。
むしろ絶対に人には言わないだろうと思うのですが、モロッコで九十九が「一億円持ってる」と一男に告白した経験も効いているのでしょうね。
あのあとモロッコの砂漠で芝浜を演るシーンは美しくて素敵でした。

佐藤健さんがやった「死神」も、お金ではありませんが命という大事なものをやったりとったりする噺です。自分の利益の為に人の命を軽く扱った男が、最後には自分の命もうっかり吹き消してしまう。
あるようでない、劇中の「お金」をイメージさせるようなところがありました。

「夢になっちゃいけねえ」

芝浜のサゲは「よそう。また夢になるといけねえ」ですが、このセリフも劇中で効果的に使われていました。
一男の3億円をそっくりそのまま戻してきた九十九は、なぜかそのまま立ち去ってしまうのですが、そのとき別れ際に「夢になっちゃいけねえ」と言い残していきます。

良い方向に解釈すると、これは九十九から一男へのエールで「君はもう大丈夫だから、君の人生を頑張って」というような意味になるでしょうか。
私はちょっと意地悪く捉えて、九十九が自分のために言った言葉でもあるような気がしました。
お金の本当の価値を求めてきた九十九は、一男を通してその答えを知ることができました。なので「もう答えがわかった今、今後も君といるとそれがまた違ったものになるかもしれないから、もう君はいらないよ」というような。

そこまで性格の悪い意図はなかったかもしれませんが、お互いに欲しい物を手に入れた今、逆に二人の思い出はきちんと夢のまま、きれいに持っておきたかったのかもしれないなあと思いました。

原作を読むとまた違った感想になるのだと思いますが、映画は映画ですっきりとまとまっていて、軽く見るにはよい一本でした。

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