平成最後の日

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今日で「平成」という暦の日が終わる。
昭和生まれではあるものの、もう覚えているのは幼稚園くらいからの記憶なので、頭の中には大体平成になってからの風景しかない。

平成から令和になってもそんなに生活に変わりはないので、今日も今日とてぼんやりと、ただ仕事をしながら時間が過ぎていく。
暦が変わるというのは、オオゴトのようで実際の人生にはあまり関係のない、でもなにかオオゴトにしておきたい、という不思議な行事だと思う。

ただ、明治以降は天皇陛下の死を以て暦が変わっていた事を考えると、こんなにみんながワクワクできるイベントのような改暦は本当に珍しいのだろう。
昭和から平成に変わったときの記憶もないので前回がどうだったのかは分からないけれど、そこに人の死が関係する以上少なくとも嬉しいだけの行事ではなかったはずだ。
「良い改元」というものがあるとすれば、きっと今回がそれに当たるのだろう。
今回、人の死と暦を切り離した今上天皇は良いことをなさったと思う。

よく考えてみると暦と個人の死が直結するというのはとても不思議な現象だ。
暦は元々星や太陽、月の動きから作られたもので、そこに人の死は関係のないはずだ。全く根拠も周期もなにもない突発な「死」が暦を変えるというのは非常にナンセンスなことのように思える。
もちろん昔は天皇陛下が単なる「個人」ではなかったから(正確には今でも単なる個人ではないが)そのようになっていたのだろうけど。
またはそのときだって暦なんて大体の人生には関係のないものだったのかもしれない。

個人的には漢字文化圏の元号は結構好きで、字面や漢字の意味がなんとなく時代と寄り添うようにあるところが良いと思う。
文字から受ける印象は表音文字より表意文字のほうが強くなるし、そのぶん、普段から目にする文字から受ける影響というのは思っているより大きい。
例えば「元禄」なんて、いかにも映える、なにか大きなことがおきそうな文字じゃあないかしら。
「令和」という文字を最初に見たときには、なんとなく「今風だな」という印象を受けた。令の縦にすっきりした字面と、和の安定感・やわらかさ。個人主義をベースにした調和という感じ。
実際にはこれから起こる出来事や世界情勢をもとにまた令和のイメージは変わっていくのだけど、できればこのまま涼やかで穏やかなイメージの時代でいてくれればいいと思う。

平成の最後に自分の平成を振り返ろうと思ったけれど、特に何もなかった。令和になったらこれをしよう、ということもない。
私の人生に元号が関わることなんて、本当になにもないのだなあと思う。
多分それが平和ということで、それくらいがとてもありがたいことなんだろう。

“平成最後の日”. への3件のフィードバック

  1. wildsum のアバター

    こんにちは!ぼくにとっても、今日、明日、特に変わりない一日です。大騒ぎできるのは、やっぱり今上天皇がまだ生存しているからでしょうね。

    1. FLOW のアバター

      そうですね、やはり生前退位されるというのは今までとの大きな違いだと思います。
      個人的には今後も希望があれば生前に退位できるようにしていただいて、私人としての生活も楽しんでいただける余地があると、国民にとってもいいんじゃないかなと思いました。

      1. wildsum のアバター

        天皇が亡くなって元号を変えるより、この方がいいですね。昔は何かきっかけがあって、時代の雰囲気を変えようとして元号を変えたということもあったそうですが、それより、今回のやり方がいいと思います。

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