日々

  • 文章の書き方

    そのうち、というかもう何割かはそうなんだろうけど、文章を書く時にAIを使うことがあたりまえになるんだろうな。

    それは今の私たちがレポートなんかを書く時に手書きでは書かないのと同じで、自分で考えて書くということは効率を度外視した楽しみとかこだわりみたいなものになるのかもしれない。

    まだAIを使って文章を書くことに否定的な感覚は多いと思うんだけど、筆からペンになり、ペンからタイプになった時もこういう感じだったのかなと考えると面白い。

    過去と違うのは、筆やペンやキーボードはあくまで手を動かすツールの違いだったのに対して、AIはコンテンツを創るというツールであるということ。

    それが私たちのコミュニケーションや考えかたに及ぼす影響は小さくはないと思うんだけど、でも結局はペンやキーボードやスマートフォンのように、広がってしまえばそういうものだと慣れてしまう気もする。

    ,
  • 人に会うこと

    人に会うのは結構苦手な方だと思っていたし、はるか昔にスーザン・ケインの『内向的な人が秘めるパワー』を聴いてからは、やはり私は内向的な人間なんだ。引きこもっていていいんだと謎の自信を持っていたのだけど。
    ふと人に出会うと、やはりこの力には叶わないと思う。

    https://www.ted.com/talks/susan_cain_the_power_of_introverts

    新しいところに行こう、なにかを動かそう、と思わされるパワー。この先の『なにか』のスイッチが押された瞬間。
    今日はなぜかそういうことに行き当たって。
    得難いものをいただいたという気持ちになる。

    ,
  • 鹿児島のお座敷遊び @ こよい、こいとと

    お世話になっているカフェの一周年で、鹿児島芸者さんをお招きしてのお遊びがあったので参加させていただいた。

    鹿児島の町芸者として今も活動をされている住吉社中の皆さんの踊りと唄を拝見するという珍しい機会。

    最初に住吉社中を知ったのは地元のフリーペーパー「Region」の特集記事でのことで、鹿児島にも芸者さんという存在がいたのねと驚いた。
    なかでも社中を率いる住吉小糸さんは男性の芸者さんという珍しい方。

    小糸さんの踊りも素敵で喉も良く、昔から伝わる歌を沢山唄っていただいた。
    まだ小学生というお嬢さん方もしなやかな手さばきでお上手だった。

    普段は宴会の席で囃されながら披露されるのだろうけれど、今回はコンサートのような形式で、いつもとは異なる席。
    それでも最後には色んな方を巻き込みながら宴席を盛り上げていかれるのは流石。とっても楽しませていただいた。

    席自体も楽しかったのだけど、唄と踊りを見ていて祖父の時代の飲み会の席を思い出した。
    大体お酒が入ると最後には唄が始まり踊りが始まり、あ、こんな感じだったなと。

    思い出してみると、我が家の、私達が幼稚園や小学校低学年のときのお誕生日会というのは、子どものためのパーティーではなくて誕生日という口実の元の飲み会だった。
    あれはあの時代の田舎はそうだったのか、もしくは我が家だけが特殊だったのかわからないけれど…ケーキの代わりにお寿司をとって、叔父や叔母が来て普通に宴会をしていた。
    そんな席でこんな唄と踊りがあったなと、懐かしく思い出した。

    今はもう親戚が集まっても唄も踊りもしないし、やれと言われてもできない。
    子供の頃は迷惑な酔っぱらいがと忌々しく思っていたけれど、今振り返ると、あれはあれでいい時代であり、文化というのは結構脆くてすぐに廃れてしまうものだなと感じる。

    町芸者もいずれいなくなるのかもしれないけれど、今しばらくはこうして拝見できる機会があってとても嬉しい。

    , ,
  • 「この世界の片隅に」お寺でシネマ@知覧

    知覧と言えば特攻基地があったことで有名な土地ながら、私にとっては地元の近くであり、小さい頃から馴染みの深い街。
    その知覧のお寺の本堂で映画「この世界の片隅に」の上映があるということで、久しぶりに行ってみた。

    地域のお寺さんの温かいイベント

    会場の大心寺さんに伺うと、寒い中ご住職やスタッフの方がチケットの販売などをされていた。

    敷地内では地元の野菜や、近くのカフェの方がコーヒーや軽食を出していて、地域のイベントという感じでとても素敵な雰囲気。

    本堂に入ると、ご信徒さんらしき近所のおじいちゃま・おばあちゃまやご家族が多く来られていて、和気藹々とした空気。
    本堂の寒さを知って毛布やひざかけ持参で来られている手慣れた方も多く、流石!という感じ。
    本堂もとても立派で、普段は自分の檀那寺の本堂しか入ることがないので、興味深く拝見させていただいた。

    映画「この世界の片隅に」

    ストーリー自体は全体を通してあまり起伏がなく平坦なものだけど、淡々とした中にも様々な喜怒哀楽があって、終わりまで集中して見た。
    自分自身が大学時代をすごした広島が舞台ということもあり、人物たちの柔らかな広島弁や、広島市内の様子、灰ヶ峰や江波という地名が懐かしい。
    灰ヶ峰って夜景を見に行くドライブスポットだったよな〜とか、江波線って市電があったような…とか、その程度だけど。
    今と当時のギャップがわかるとより面白く観られると思う。

    特に印象的だった点として、戦時中が舞台の映画なので劇中で様々な人が亡くなっていくのだけど、そうした人の死があるときは深刻に、あるときは一言でそっけなく受け止められていくという、扱いの違いを興味深く感じた。

    私の祖父母が生きてきた、ついほんのすこし前の時代では、爆撃や肉親が死ぬことも日常で、戦争当事者の一人として(戦場に行かないまでも日常的に支援をすることでの)「戦に参加する」ということが当たり前になっていたということが、憐れでもあり、人って強いなあとも思ったり。

    今まさに、どこかの国ではこんな日常があるのかとも考えたり、またいずれこんな風になるかもしれないと考えたり。

    明確な起伏のないストーリーだけに、観客に考えさせる余白が多い作品だと思ったし、けして写実的ではないのに「こんな街や暮らしがそこにあったのだ」と感じさせる描き方は本当に素晴らしいと感じた。

    おみやげのお芋と麦入りのおにぎり

    上映会のお土産に、当時風に再現したおにぎりをいただいた。
    白米+麦+お芋のおにぎり。

    食べながら、そういえば祖母はこういった芋や雑穀の入ったご飯が嫌いだった事を思い出した。
    食べ物のない時代にこればっかり食べていたからと言っていたけど、お芋のご飯は飢餓の象徴というよりも、もしかしたら、戦争の暗さや自分が戦争に参加していたのだということを思い出させる食べ物だったのかもしれない。

    これを美味しい、珍しいと思えることが平和ということなのかも。
    様々な余韻に浸れる、素敵なイベントだった。

    , ,