感想

  • JOKER

    ホアキン・フェニックスが演ると決まった頃からずっと見たいと思っていた映画「JOKER(ジョーカー)」。

    ジョーカーの描く「喜劇」

    ジョーカーといえばバットマンの宿敵のようなヴィランだけど、特にヒース・レジャーが演じた「ダークナイト」の虚無的な狂気を持つジョーカーはかなり強く印象に残っている。

    今回のジョーカーはある意味「喜劇」。
    コメディアンになりたいけれど全く芽の出ないアーサー・フレックは大道芸のピエロを仕事にして、母と二人でなんとか暮らしている貧困世帯の男。
    そんな彼が世間や周囲に翻弄され、衝動に任せて人を殺すことで自身を開放し、人々を暴動に駆り立てるヒーローになるという、醜悪な喜劇だった。

    ダークナイトのジョーカーを好きな方にはこのジョーカーを受け入れられない方もあるかもしれないが、異なる世界線のジョーカーと考えると私はどちらも好きだ。

    特に今回のジョーカーは子供のようなピュアさがあり、彼が生まれ持った(もしくは幼少期のトラウマとして得た)特性から世間に受け入れられず、抑圧され、怒り、それがふとしたきっかけで開放されていく様子は思わず「良かったね」と微笑みかけたくなるような過程だった。
    ただしその「ふとしたきっかけ」というのが殺人なので、倫理的には全くダメなのだけど。

    今回のジョーカーは哀れな人間が開放される清々しさと、それが酷い殺人・暴力によってなされるという残酷さの2つを両立させている構造が「醜悪」だなと思ったし、それを構成したトッド・フィリップス監督や、ものすごい演技で成立させているホアキン・フェニックスが素晴らしかった。

    狂気のジョーカーと怒りのジョーカー

    ヒース・レジャーが演じたダークナイトのジョーカーは「どうやっておもしろく破滅的な事をするか」ということを楽しんでいたし、その反面、世間や人間をどうしようもなく嫌悪・憎悪しているようなところもあった。

    今回のホアキン・フェニックスが演じたジョーカーは、そういう嫌悪や憎しみを全く感じなかった。
    そこがダークナイトと大きく違うなと思った点。

    彼の動機は憎しみではなく「怒り」であり、それも正当な怒りであるように描かれていた。

    例えば自分を愛してくれていると信じていた母親だったのに、実は愛する男をつなぎとめる道具のようにしか見ておらず、彼をネグレクトしていたから。
    例えば仲良くしていた仕事仲間だったのに、彼に無理やり銃を渡して、彼が仕事をクビになるきっかけを作ったから。
    例えば信頼・尊敬できるコメディアンだと思っていたのに、彼を公共の電波で笑いものにしたから。

    今回のジョーカーが殺した人物はすべて彼の信頼を踏みにじったものであり、彼は憎しみや狂気というより怒りを持って彼らを殺した。
    そういう点で、今回のジョーカーは毒や狂気を持った存在としては描かれておらず、観客がジョーカーを正当化しやすい描かれ方だったと思う。

    弱者と強者の言い分

    でも本当に今回のジョーカーは正しいのかというと、それは全く違っていて、ロバート・デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンが劇中でいうように、「それらは殺人の言い訳にはならない」し、結局自分の弱さを転嫁しているだけではある。

    ただ、弱者からすればそれはあくまでも持っている者(強者)が振りかざす正義にしか過ぎず、「じゃあ虐げられたままおとなしくしておけばいいというのか」という弱者の反論も聞こえてくる。

    今作中でははっきりと貧富の差が描かれ、弱者の絶望や閉塞感がリアルに描かれていた。
    だからこそ、虐げられている身分から強者を脅かす存在になったジョーカーが、暴徒からヒーローのような扱いを受ける。

    これは本当にスクリーンのこちら側でもものすごく実感できる対立で、小さい頃に見ていたゴッサムシティは「アメリカのどこかにあるらしいめちゃくちゃ治安が悪い街」という遠い存在だったのに、今や「あー、わかるなー、このやり場のない気持ち」とか「こういうところからどんどん切られるんだよなー」などなど本当にリアルに感じることができるようになってしまった。

    いや、本当に、世の中ってどんどんゴッサムシティに近づいていっているんじゃないかと思う。
    そういった点でもアーサーには非常に共感できてしまった。

    ジョーカーの妄想した喜劇

    最後にこの映画は精神病院の中のアーサーが出てくる。

    この彼は、ピエロの仕事を得るずっと前に病院に入れられていたアーサー?
    それともすべての暴動の後に捕まって収監されたアーサー?

    もしピエロの仕事を得る前のアーサーなのであれば、殺人や暴動は実際には起こっておらず、すべてアーサーの脳内で考えられた「喜劇」の妄想なのだということになる。

    このアーサーは何を「喜劇」として笑ったのか。
    周囲に翻弄されて哀れな様子で右往左往し、犯罪者として自我を開放していく男の妄想が面白かったのか。
    その男に触発されて狂っていく暴徒たちが面白かったのか。
    もしくはその男の過程を見てまんまと同情して、彼の存在を正当化してしまう私のような観客の存在が、ジョーカーにとっては喜劇なのか。

    狂っているのは彼なのか世間なのか、そういった問いかけや観客もまた作品の中の一部なのではという感覚は中井英夫の「虚無への供物」とも似た部分があるように感じた。

    今回の作品はリアルな社会を描き出しながらも「映画らしさ」をきちんと作り込んでいるところがうまい。
    最初の導入シーンとラストシーンはどちらもチャップリン的なあしらいで、視覚的にも「喜劇」を印象づけてくるけれど、そういった浮世離れしたあしらいと、劇中のリアルな社会の描き方のギャップがとても良かったし、社会の方も汚いものは汚く、そして都市は都市らしく、すべてのシーンが美しく切り取られていた。
    これももしかしたら、ジョーカーの妄想だからこんなに映画らしい美しいシーンばかりだったのかもしれない。

    また、すべてが彼の妄想だとしたら、彼はそもそもジョーカーなのかという問題もある。

    病院の彼が誰であるかは全く明言されていないので、彼はジョーカー自身なのかもしれないし、またはジョーカーに憧れて自分がジョーカーだったらと妄想しただけの人間かもしれないので。
    そのあたりも考えていくと面白そう。

    ジョーカーというキャラクターは有名なだけに難しい役どころであると思うし、代々の俳優が素晴らしいので好みが分かれるところだけど、どのジョーカーが一番良いかと言われればやはり私はダークナイトのジョーカーが一番のジョーカーだと思うし、続編として創るならあのジョーカーのキャラクターをぜひ守って欲しいと思う。

    でも今回のジョーカーもものすごく魅力的で好きだったし、「一つの世界線(Alternate-Universe)の話」としては非常にいい作品だと思った。

    特にホアキン・フェニックスの献身的な役作りは「すごい」の一言に尽きたし、彼の絶望、怒り、清々しさ、といった演技は2時間うっとりするほど素晴らしい。

    今後ホアキン・フェニックスがまだジョーカーを演るかというと「シナリオ的にはもういいんじゃない」という感じだけど、役者としての彼にはぜひこれからも色々な素晴らしい演技を見せてもらいたい。

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  • ブロークバック・マウンテン

    壮大で美しいブロークバック・マウンテンの農牧場で出会った二人の青年。山でのキャンプ生活の中で、次第に彼らは友情を超えた深い感情が芽生えはじめるのだったが…。『シッピング・ニュース』のアニー・プルーの短編小説を原作に、20年にもわたる男同士の愛の物語を綴ったアン・リー監督の傑作ドラマ。第63回ゴールデン・グローブ賞にて主要4部門を独占受賞、第78回アカデミー賞では監督賞など3部門を受賞。

    「Oricon」データベースより

    数々の賞を受賞した同性愛を描いた映画

    「ブロークバック・マウンテン」といえばジェイク・ギレンホールとヒース・レジャーが演じる2人のカウボーイの男性同士の恋愛を描いて話題になり、数々の賞を受賞した「名作」に挙げられる映画。
    今まで名前は聞いたことがあったけど、あらすじだけだとシンプルな恋愛映画のようだったので見ないままにしていた。
    が、今回本作を見てみて、映像の美しさ、二人の男優とミシェル・ウィリアムズの演技の巧さに本当に感心させられた。

    美しいブロークバック・マウンテンの自然

    ジャック(ジェイク・ギレンホール)とイニス(ヒース・レジャー)の絡みが有名だけど、本作の一番の見所はまず舞台となるブロークバック・マウンテンの美しさだと思う。
    山や渓谷の風景、時に厳しい天候、移りゆく季節、全てが素晴らしい映像として収められている。
    この映画を見ながら、河瀬直美監督の「萌の朱雀」を思い出した。
    こちらも、日本の山を非常に美しく撮っている、好きな作品。

    ジャックとイニスにはふたりとも妻子があり、街や牧場で暮らしているが、二人だけでブロークバック・マウンテンに行くときだけは現世を忘れて美しい空間で過ごすことができた。
    ぎこちない出会いや衝動的な行為、喧嘩や和解など、二人は20年間カップルとして様々な感情をぶつけ合うが、自然は常に変わらず美しく佇んでいて、その対比がとても良かった。

    語られない物語の想像

    本作ではあまり解説するような描写はなかったのだけど、こうじゃないかなと思わせるようなポイントがあったのでいくつか書く。

    ゲイの男性とストレートの男性の恋愛の物語

    まず、おそらくジャックは元々ゲイである(男性が恋愛対象である)ということを自覚している人間で、イニスの方はストレート(異性が恋愛対象である)という点。
    イニスの方は元々婚約者がいるのでストレートだったと思うが、ジャックは登場シーンの車にもたれる動きや、髭を剃りながらミラー越しにイニスを盗み見しているところから、元々ゲイだったような描かれ方になっている。

    最初にあのもたれ方を見て「ジャック、なんかキモくないか?」とめちゃくちゃ違和感があったのだけど、そういう演技だったんだなと後で納得。
    ※ちなみに「気持ち悪い」と感じたのはゲイだからというわけではなく、最初からどことなく性的なものを含んだ動きをしているから。ジェイク・ギレンホールのそういう細かい演技が好き。

    また最初の年の仕事が終わり、ジャックとイニスが一旦別れるシーンで、ジャックは寂しそうにしながらも車で去っていくのに対し、イニスはしばらく歩いた後に嘔吐をこらえるような仕草で嗚咽し、壁を殴りつける。
    このシーンも、イニス(ストレートの男性)にとって男性との恋愛がどれだけ衝撃だったかを表しているように思った。

    二人は互いに恋愛感情を持っているので、本来は元々ゲイとか元々ストレートとかそういうふうに分ける必要はないと思う。
    ただストーリー全体で見ると、この立ち位置の微妙な違いが結構ポイントになっていたんだなと感じた。

    再開後のキス

    立ち位置の違いがわかるのは、例えば数年後にイニスの家をジャックが訪ねてきて、再会した二人がその場で熱烈なキスをし始めたシーン。
    どこか別の場所で会うのかと思いきや、イニスの家に訪ねてきていきなりその場で抱き合ってキスをし始める二人。
    すぐそこに奥さんもいるのに何をしてんねんと、思わず呆れた。

    実際にここでイニスの妻のアルマ(ミシェル・ウィリアムズ)にばっちりキスシーンを見られるわけだけど、この時のアルマの表情・動揺の演技は真に迫っていてとても良かった。

    多分、元々ストレートのイニスはこの時まだ二人の恋愛感情を甘く見ていて、「あれは一度の過ちだから普通に会えるだろう」とか「お互い好きでも自制できるはず」などと思っていたのだと思いう。
    ここがまたジャックとイニスのすれ違いなのだろうな。
    ジャックの方は完全に感情を自覚しているのでもう会ったそばから全開で、イニスにしても本心ではジャックを恋愛感情で好きなので、激情に流されてその場で熱烈にキスをしてしまう、、という感じだったのかなと。

    ちなみにこの時の最初からグイグイいく感じのジェイク・ギレンホールの表情は、彼の気持ちが伝わってきてとても好きだった。
    が、とにかくここは妻のアルマが不憫でならないシーンでもあった。
    これが浮気相手の女だったら完全に怒って二人に怒鳴りつけていたかもしれないけど、親友とされている男性なので「まさか」とか「自分との結婚は嘘なのか」とか、混乱してしまって何もいえず、二人を見送るしかないという。。

    ジャックの浮気相手

    ジャックは終盤で、「妻の他にも牧場主任の妻にも手を出している」とイニスに告白する。(実際には牧場主任の男との浮気だったことが後からわかるわけだけど)
    女と浮気していると聞いてもイニスはあまり気にしないけど、メキシコに男を買いに行ったというと激高してジャックを詰る。

    このあたりもイニスにとっては男が女に手を出すのは当たり前だから許せるけど、男相手の恋愛は自分との特別なものだから許せない、みたいな感じなのかなあと。

    イニスのトラウマ

    イニスはイニスで、小さい頃のゲイの男性の死体(ストレートの男性にからかい半分で惨殺されたやつ)を強制的に見せられているので、ゲイは殺されるというトラウマをもっている。

    そのあたりでゲイの恋愛を認められないというか、世間にはぜっったいにバレてはいけない、バレたら殺される!という強迫観念がある。

    ゲイを理由に惨殺されるというのは昔観た「ボーイズ・ドント・クライ」という別な映画でも題材になっていて、今の時代の日本の間隔からすると結構衝撃だけど、宗教観・地域観から「ゲイならそうされてもしょうがない」と思われていた時代もあったのだろう。

    自分の気持なのに認めてはいけないと思い続けて、それでもジャックのことは好きでという葛藤を抱えたまま年を取り、ブロークバック・マウンテンでついに泣き崩れる中年のイニスの悲哀は本当に深いものがあった。

    ジェイク・ギレンホールの演技が細かい動きにも気を配って作られるものだとすると、ヒース・レジャーの演技は身体からにじみ出るようなものだなと思う。
    イニスが泣き崩れるシーンで感じる彼の葛藤や哀しみは言葉では言い表せないが、ヒース・レジャーの演技が心に染み入るようで、本当に素晴らしかった。

    ジャックの不審な死

    そのあとジャックはパンク修理中の事故で亡くなり、イニスはジャックの妻・ラリーンから電話でそれを聞かされる。
    話を聞いたイニスは、昔のトラウマから「ジャックはゲイであることを理由に殺されたのだ」と思い、打ちのめされる。

    ラリーンの話を信じるならそのまま事故死だけど、私もジャックは殺されたのかなあとなんとなく思った。
    ラリーンがそこまで悲しくなさそうだったことや、イニスへの話す態度から、ラリーンはこの電話の時点で二人の関係を知っていたような気がする。

    でもゲイを理由に殺されたなんというのはやはり辛すぎるので、やはり事故のままにしておきたい…。

    最後の「I swear」

    映画の最後は、イニスがジャックの遺品に向かって「I swear…」と言って終わる。
    字幕では「ジャック、永遠に一緒だ」みたいな感じになっていたので、結構違和感があった。
    いきなりわかりやすい恋愛映画みたいな台詞じゃない?と。

    ただ、直訳すると「誓うよ」になるけど、何に誓うのかはわからないし、翻訳の方も悩まれたのではないかと思う。

    シーンとしては直前に娘の結婚式の話をしていたので、イニスはジャックに、結婚式での「誓います」に近いものを伝えたかったのでだろう。

    「誓う」ということは神または世間に宣誓するということで。
    今まで自分の気持ちを肯定できなかったイニスが、初めてポジティブに想いを伝え、また世間にも(公にはしないにせよ)気持ちを現した一言だったのではないだろうか。

    いろいろ推察させるような演出が多く、観た後もふと思い出しては「もしかしたらああだったのかも…」と思うことが多い映画だった。
    名作と言われる所以はそういうところにあるのかもしれない。

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  • ノクターナル・アニマルズ 雑感

    https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B079V2K4J2/ref=cm_sw_em_r_pv_wb_Ym63qgwtj6r56

    エイミー・アダムスとジェイク・ギレンホールが主演、そしてトム・フォードが監督という、豪華な一本。
    個人的にはマイケル・シーンやアーロン・テイラー ジョンソンなどが出演していたのも嬉しかった。

    ストーリーが2重に進む作中作構造

    ストーリーは至ってシンプル。
    主人公のスーザン・モロー(エイミー・アダムス)は夫の経済力で豊かな暮らしを送り、ギャラリーを運営する女性。
    暮らしは豊かでも夫とはあまりうまくいかず、空虚な気持ちで暮らしている。


    ある日元夫のエドワードから、彼が書いた小説「ノクターナル・アニマルズ」が送られてくる。
    小説のなかでは、ある男性トニー(ジェイク・ギレンホール)が妻・娘とロングドライブをしている途中で不良たちにからまれ、妻・娘を拉致されて殺されてしまう。トニーは失意の中、刑事とともにその犯人を追う。
    それを読み進めるうちに、スーザンの心はシンクロし、彼女も追い詰められていく、、

    現実世界=エドワード(ジェイク・ギレンホール)
    作中世界=トニー(ジェイク・ギレンホール)

    という感じで、ジェイク・ギレンホールが二役を演じて進行していく。

    結構シンプルなんだけど、エイミー・アダムスとジェイク・ギレンホールの演技、あと画の作りが綺麗で見飽きない。

    美しいトム・フォードの世界

    監督はファッションでも大成功しているトム・フォードなので、まずスーザンや上流階級の方が着ている服がどれも素敵。

    他にも現実世界と作中世界での色の使い方、特に現実世界で使われるくすんだ赤色が印象的だった。
    綺麗なんだけど芝居感のある赤というか、現実がどこか空虚になっている感じがよくでていた。
    逆に作中世界での赤はトニーが殴られたときの血の色だったりして、逆にリアル。

    観客に結末を委ねる物語

    最後を書くとネタバレになってしまうけど、ちょっと観客を置き去りにするような、見る人に背景を委ねる終わりで、私は結構好き。
    見る人によって、スーザンの視点で見たり、エドワードの視点で見たり、色々シーンの意味を考えるのも楽しいと思う。

    これはスーザンのための物語

    私は見終わった後に、これは最初から最後までスーザンの物語だなと思った。
    エドワードという人間すら存在しないのではないかと思ったほど。

    スーザンはブルジョワな実家に反抗しロマンチストのエドワードと結婚するけど、エドワードとの暮らしに将来性が見いだせなくなって、今の夫に走る。
    ただ、今度は暮らし的には満たされても、愛を失っているのだ。

    スーザンは自分の欲望を理解せず、どちらかというと受け身で、自分で考えているようで、実際そうではない人物のように見える。
    本当は自分の欲望(衝動)があるのに、その場の状況で限界を作って収まってしまうような。

    作中のトニーや妻・娘・刑事・そして悪役の不良たちは全部スーザンの一部を表してるのかなと感じた。
    自分で目的地もわからないのに何故か車を走らせ、その後も誰かの言うがままに動くトニー、無責任な言葉を吐き無残な目に合ってしまう娘、娘を守りきれず自分もレイプされて殺される妻、正義にどこか疲れているような刑事、そして邪悪でプライドの高い不良のレイ。

    すべてがスーザンのある一面や願望を表していて、だからこそ彼女は単なる文章で読み進める物語にこんなに感情移入してしまうのかな、、と。

    最後にスーザンはエドワードとまた会うためにでかけていくけれど、彼女は会えないことを最初からわかっていたような気がする。
    ちょっとした感傷でエドワードを求めることはあっても、エドワードはもう彼女の中では過去であり、いない人物なんじゃないかなと。

    彼女がテーブルを立つ時に、そういった過去の思い出から脱却して、彼女は徐々に自分を取り戻すのではないかと思った。

    見た人それぞれに解釈があっていい映画だと思うけれど、監督や出演者のインタビューを翻訳してくださっている記事があって、こちらを読んでなるほどとも思った。

    ノクターナル・アニマルズ トム・フォード監督が解き明かす解釈。

    Pepper’s Attic

    けして後味が良いとは言えないけど、余韻のある映画。

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  • アベンジャーズ・エンドゲーム

    3時間の長編だったけど、全く時間を感じさせない映画。
    それほど面白かったということでもあるけれど、同時に一番の山場をワクワクしながら待っていたらいつの間にか終わっていた、という感じでもあった。

    多分、インフィニティ・ウォーから1年間待っていた分、期待度がかなり高かったのだと思う。
    また、前回のインフィニティー・ウォーがとても充実していて各ヒーローの見せ場もきちっとある映画だったので、今回もそのような感じで(というかむしろ前回以上の)各ヒーローのめちゃくちゃかっこいいシーンとものすごい戦いがあるんだろうな!と勝手に思っていたんだろう。
    実際にかっこいい闘いのシーンはあったけど、前回ほどかと言われるとそうでもなかった。
    各キャラクターのストーリーに沿ったシーンも前回の方がきちんと描けていたと思う。

    まさに「エンド」のための映画

    良くも悪くも、今回は「後編」であり「終わり」だということなのだなあと思った。
    ただ、出来が悪かったのかというと、全然そんなことはなく。

    単なる一つの作品としてみれば、前回のインフィニティー・ウォーだったりシビル・ウォーの方が良いと言える。
    でも、この映画が今までの22作の「エンド」であり、それぞれのキャラクターの「エンド」であると考えれば、確かにこれ以上の作りはないなあと思わせるものだった。

    個人的にはもっと色々詰め込んでほしかったとも思うけれど、制作側も本当に泣く泣く色々削っての3時間だったんだろうなと推察。

    各キャラクターにとってのエンド

    見終わった後に考えるのは、作品全体としてこの後どうなるのか、ということよりも各キャラクターの移り変わりや最後のこと。

    アベンジャーズの各メンバーは数が多いので、きちんと描かれていたのは初代アベンジャーズメンバーくらいだったけど、それぞれのキャラクターの移り変わりはとても興味深いものだった。

    ハルク / ブルース・バナー

    ブルース・バナーとハルクは融合して常に大きな体の緑の科学者になった。
    常に理性的でいられて、もうブチギレるということもないのだろう。
    初代アベンジャーズやソー/ラグナロクなどでのハルクの無茶苦茶な暴れっぷりはスカッとしてとても好きだったので、それが見られなくなったのは残念でもある。

    かつて、アベンジャーズでトニー・スタークはブルース・バナーに「普通の人間はあれだけのガンマ線を浴びたら死ぬ。ハルクが君を守ったとも言える」というような事を言っていた。
    今回、ブルース(ハルク)は6つのインフィニティ・ストーンを使ったけど、ハルクの体のおかげで死ぬことはなかった。
    ハルクという存在が宇宙や自分を救うとは、最初の彼からは想像もつかないことだっただろう。

    そういえばブルースは初回アベンジャーズで「僕はいつも怒っている」と言っていたけど、ハルクと和解したことでもう怒りはなくなったのかもしれない。
    最初はハルクを恐れて憎んでいた不安定なブルースが、こんなに平穏な感じになれたんだなあと思うとちょっと感動してしまった。

    ブラック・ウィドウ / ナターシャ・ロマノフ

    ナターシャがいなくなってしまってとても悲しい。

    今回驚いたのは「ナターシャが本当に泣いてる」ということ。
    いつも冷静で、泣いたと思っても演技なのがブラック・ウィドウだったけれど、5年間の憔悴から、アベンジャーズ(特にホークアイ)を家族だと思って本当に大事にしていたのだということが伝わってきた。

    冷徹な女スパイだった彼女が、ウォーマシンはじめ皆に「ナット」と呼ばれるまでに親しまれ、愛する存在のために泣ける人物になったというところが、地味に感慨深かった。
    そういえばナターシャとクリントが二人で任務について「ブタペスト」のキーワードがでてきたときは思わずニヤッとしてしまった。

    ホークアイ(ローニン)/ クリント・バートン

    クリントはこの作品では家族愛の象徴みたいになっていたけど、まあ元々良き家庭人だもんね。

    クリントも最初はかなり冷静な人物でしたが、今回は家族がいなくなったことで自暴自棄に。
    しかし、中盤に一人で多数の敵から逃げ切るシーンは流石ホークアイ。
    ナターシャとクリントは普通の人間なので時々他のヒーローの前に霞んでしまいがちだけど、だからこそこういうシーンでは、やはりものすごいヒーローだなと感じさせてくれる。

    ソー

    この作品で一番ギャグ要素だったのは彼。
    インフィニティーウォーではめちゃくちゃかっこよかったアスガルドの王が、ものすごいメタボニートになっててずっこけた。
    ダリルもいるのかなと思ったくらい。

    というか、この超大作でこんなにだらしないソーを見せることを許したクリス・ヘムズワースはすごいな。普通はずっとかっこいいままで終わりたくない?

    多分ソー/ラグナロクでおもいっきりギャグ要素を取り入れたタイカ・ワイティティ監督の影響が大きいのかなと思うけれど(そういえばワイティティ監督もエンドゲームに出ていた)、ある意味傲慢でかっこいいヒーローだったソーが、弱さやだらしなさをさらけ出してみせたのは観客にとってもとても意味のあることだと思う。
    もちろん戦いのときにはしっかりかっこいいソーに戻ってくれたので良かった。

    キャプテン・アメリカ / スティーブ・ロジャース

    この映画はキャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャーから続く、キャプテン・アメリカシリーズでの終わりでもある。

    キャプテンは良くも悪くも意志の変わらない、正義を貫く人物だと思っていたけれど、最後になってミス・カーターと結ばれるために過去に残るという人間らしいワガママを出したのが意外だった。

    今までのキャプテンだったら、きちっと任務を果たしてすぐに帰って来たのではないかと思う。ミスカーターの人生も尊重して(葬式まで出たわけだし)、今更未来を変えるということはしなかったのではないかな。
    多分、この5年で彼の中の考えが色々変わったのかなあと。

    キャプテンは今まで「前向きに/正しく」といういわゆるアメリカ的ナイスガイを地で行く男性だった。
    自分の知らない間に何十年も経ち、愛した女性は年老いていて死んでしまう、それでも使命があるから前に進むしかない、正義の道を歩むしかない、と思ってやってきたのだと思うけど、心の中ではやはり葛藤があったはず。
    本人自身も今までに時々そういう事を言っていたし。

    5年間その葛藤と向き合ってきて、前向きに/正しく生きるのも大事だし、同時に自分自身の気持ちももっと大事にしてもいいんだというふうに変わったんじゃないかなあと思う。
    そういう悟りを経て、ムジョルニアも扱えるようになったんじゃないかなと。めちゃくちゃ想像の世界だけど。
    (エイジ・オブ・ウルトロンのパーティーシーンの伏線がバッチリ回収されていて嬉しかった)

    ある種禁欲的だったキャプテンがミス・カーターときちんと結ばれるのは私にとっては意外だったけれど、ザ・ファースト・アベンジャーから続いたヒーローの物語が終わって、キャプテンからスティーブに戻ったのだと考えると、良い意味で平凡な、素敵なハッピーエンドだと思う。

    そういえばキャプテンはソウルストーンをどこに返したんだろう?
    もしヴォーミアに行ってたらレッドスカルと鉢合わせるはず。どうなったんだろ?

    アイアンマン / トニー・スターク

    マーベル・シネマティック・ユニバースはアイアンマンから始まったものなので彼にとっても終わりですが、もう本当にロバートダウニーJrさんお疲れ様でございますという感じ。
    アイアンマンを観るまでは私にとってロバートダウニーJrといえば「アリーマイラブ」の途中で消えた人、という認識だったので(笑)

    アイアンマンから始まったこの11年間で「ロバートダウニーJr=アイアンマン」という図式は全世界の人の共通認識になったと言っても過言ではない。
    トニー・スタークの傲慢さ、不安定さ、リーダーシップ、潔さ、みたいなものを、ロバート・ダウニーJrはまるで自分自身かのようにブレなく演技して見せてきた。
    それだけ彼がこの役に尽くして来たということだろう。

    アベンジャーズはトニー・スタークという人物の成長の歴史でもある。
    今回、トニーは親になり、そして人を赦す。
    各ヒーローのなかで、トニー・スタークはいつも一番人間らしい不安定さを見せてきた人物だと思うけれど、同時に一番情のある人であったかもしれない。
    作中の「アイアンマンにもハートがある」という字幕も良かった。

    …他の人物たちもそれぞれ過去作品にリンクするところや新しい展開などもあってよかったのだけど、この初代アベンジャーズメンバーの変化等を考察するだけでも結構お腹いっぱいになってしまう。

    こうしてみると、結構今までの各映画を通して、少しずつ各キャラクターも考え方などが変わってきたのだなと思う。
    特に今回のエンドゲームでは各キャラクターがそれぞれの着地を迎え、見終わった後に「ああ、終わったんだなあ」という気持ちになった。

    マーベル・シネマティック・ユニバース自体はこれからもまだまだ続くようだし、スパイダーマンもガーディアンズ・オブ・ギャラクシーもまだ作られるわけだけど、ひとまず良い終わりを迎えることができて、個人的には満足な一本だった。

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